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旅行作家 杉田房子

おけいさんの墓

 友人の一人が、アメリカの田舎を見てくるとアメリカの知人を訪ねて出発し、つい先頃帰国。みやげ話をしてくれました。
 カリフォルニア州サクラメントからさらに80kmも奥地に入ったシエラネバダ山脈の麓コロマという小さな町を訪れた時、日本人女性の墓に出合ったというのです。異国で日本人の墓に出合っただけで、どんな思いでその生涯を終わらせたのか胸が熱くなります。
 その墓には英語の他に日本語で「日本皇国明治四年、おけいの墓 行年十九歳」と刻まれており、19歳の若い女性の墓となればどんな物語があるのか知りたくなるのが人情。村人に尋ね歩きやっとわかったことは、「白虎隊」で有名な会津若松から、明治1年の戌辰戦争で破れた会津の人達が国外脱出を試み、アメリカへ移民を決意。その中に17歳だったおけいさんも加わっていたのです。日本女性移民第1号ともいわれていました。アメリカでは「若松コロニー」としてシルクの生産とお茶の栽培を目的とした村造りをしましたが、土地が悪く失敗し、コロニーは解散。おけいさんは近くのアメリカ人の家庭に引き取られ、家族の一員として可愛がられましたが、まだ少女といって良い年頃のおけいさんにとって辛くなかったはずはありません。しかし、おけいさんの清楚な面ざしに暗く沈んだ表情や涙を見た人はいませんでした。「彼女はナイス・ガールでビューティフルだった」と土地の人も言い伝えていたそうです。
 アメリカでの生活2年目で、風土病と言われるマラリアにかかり、田舎のこと医者の手当てもなく、高熱に苦しみながら、19歳の若い一生が終わりました。数少ない日本人移民者はおけいの薄幸な短い生涯を知ると、休日には墓参に通い、墓をきれいにしていたといいます。今はカリフォルニア州の史蹟に指定されています。
 昭和32年9月、戌辰90年祭が会津で開催された時、おけいさんの故郷・会津若松の背炙山に顕彰碑が建立され、サンフランシスコの邦字新聞は「移民第1号のおけいさん、故郷で認められる」と大きな見出しで報じたそうです。